地域文化研究所

地芝居について

中濃・北濃の地歌舞伎

上野日出利 


 飛騨川流域の白川地域は、東濃に並ぶ地歌舞伎の盛んな地域である。現在は白川村の黒川(東座)、佐見、東白川村で定期的に公演がなされている。とりわけ黒川地区では、明治時代に創建の「東座」が改築され、その舞台で上演されている。
 長良川上流域では、郡上市(旧明宝村)で高雄歌舞伎が上演されている。近年の動向として、隣接の気良地区では青年らが中心になって高雄歌舞伎の支援を得て復活公演をしている。
 いずれの地の歌舞伎も、もともとは神社の祭礼の奉納演芸として江戸時代に始まっている。拝殿に回り舞台を設置するなど歌舞伎熱は熱烈であった。祭礼や村の行事として上演され、明治時代には、せまい村内にいくつかの舞台(芝居小屋)が設けられている。たとえば旧白川村には、増淵に東座、中切に春日座、下之平に共進座と、集落が競って小屋を建てていた。住民は開演の日を楽しみにしており、唯一の娯楽として定着していたのである。


《保存会》
 戦後もしばらく上演されていたが、施設の老朽化、関係者の高齢化、娯楽の多様化などにより次第に下火となり、昭和30~40年代に活動が衰退し小屋も姿を消した。それが昭和末期から歌舞伎の復活を願う人々の声を受けて地域の歌舞伎保存会結成され、再び上演されるようになった。老朽化で使用していなかった「東座」は、町の補助を受け、住民の寄付金により改築され、こけら落としがなされた。華やかな舞台ではあるが、いくつかの課題を抱えている。その大きな問題の一つは住民の理解度である。世代の若返り、転居者の増加などにより、地域の伝統に対する関心が薄くなっている。このため、保存会への参加が少なくなり活動資金が十分でなくなっている。歌舞伎の上演には師匠や地方のお礼、衣装代、舞台作りの諸費用など相当の資金が必要である。多くをご祝儀などに頼っているために、保存会の運営に関わる役員さん方の苦労も並大抵ではない。また、住民の高齢化、減少に伴い役者志望者や支援者が少なくなっていることも課題である。


《子供歌舞伎・ふれあい公演》

 幼児や小学生を役者とする子供歌舞伎は人気が高く、親類縁者まで多くの観客が期待できる。指導者は、子供の頃からの歌舞伎好きを育成し、芝居を通して社会性を培いたいと願っている。
 地域の歌舞伎は素人の役者ながら、歌舞伎の所作を踏まえて堂々と演じられ、観客の喝采を浴びている。黒川歌舞伎では、この公演を一部の愛好者の楽しみにしないで、他地区からの参加を募ったり、歌舞伎を通して住民のふれあいの場としようと「ふれあい公演」の名で上演活動している。本年は、歌舞伎の名場面の外題のほかに、「だんまり」を地区の自治会活動の役員や、小中学校の校長などが演じた。にわか役者であったが、役者姿でアドリブいっぱいの口上を述べ、地域の人々との一体感が生まれ交流を深めている。
 黒川歌舞伎では、学校などの職員が役者となることも伝統である。新任早々の多忙な時期であるが、稽古にかり出され、先輩や師匠から厳しく指導されるという。しかし、この出演を通して、歌舞伎に対する関心が高まり、郷土愛も生まれる。
 新任として小学校に赴任したKさんは、女形として出演することになった。連日の猛稽古でようやく初舞台をすませたが、この中で地区の人との交流が深まり、指導の中村高女師匠の人がらに心を引かれた。そして、歌舞伎のもつ魅力や芸を継承する熱意に感動し、他校に転任してからも毎年出演している。すでに16年になり「一つの舞台を作るためにみんなが汗を流す快感を味わえ、地域の人たちとの交流が深まり、役作りもまた自分にとっては新しい発見」と話している。


《歌舞伎を楽しむ》

 歌舞伎に関わることは、地域の伝統を継承するという重さを背負うことになる。高雄歌舞伎の人たちは「町の無形文化財に指定されているので、その価値を理解したり次世代に伝えることも自覚しなければなりませんが、それよりも、楽しい芝居をしよう、自分の力を思いっきりぶつけようという気持ちが強いですよ」といわれる。高雄歌舞伎では、特定の師匠がなく、外題決めから配役、演出などにあまり制約がないのが特徴で、大道具作りからすべてを保存会員が自主的に作り出している。「もともとは祭りの夜の余興としての楽しみだったのだから、楽しみながらやろうというのが原点でしょうね」、と話されたのが印象的であった。