地域文化研究所

地芝居について

飛騨で唯一の貸衣装店

町川克已


 江戸期以降、飛騨で地芝居が盛んに行われたのは、飛騨市河合町(旧吉城郡河合村)、高山市荘川町(旧大野郡荘川村)、高山市新宮町、下呂市竹原地区・上原地区等である。

○ 下呂地区の場合  
 鳳凰座、白雲座等が現存し同市金山町在住の市川福升氏を師匠として非常に活発な活動を続けておられることは衆知のことである。鬘や衣裳は瑞浪市の日吉ハイランドの協力を得ている。太夫とお囃子は松本団女氏の指導を得て地元の方が頑張っておられる。今なお地区の人々の生活の中に地芝居の息吹が感じられ、舞台が生き続けているのには、これら指導者をはじめとして鬘・衣裳などを提供できる体制が生きていることが極めて大きい。

○ 高山地区の場合
 現在の高山市旧市内ではいわゆる地芝居は演じられていないが、昭和30年代までは新宮神社に奉納される村芝居がかなり有名で、市内日枝神社の大祭に招かれて大好評を博したことが語り継がれている。
 荘川町では例年の祭礼の際に地元民による余興の地芝居が今もつきものである。荘川町八社のうち黒谷白山神社、野々俣神社、荘川神社の三社では現在も村芝居が奉納されており、若連中が健在である。衣裳化粧は伝統的に美濃市の豊竹芸能社である。
 近頃では少なくなったが、いまだに結婚式の披露宴でにわかが演じられることもある。清見町の料亭「魚隆」は、豊富に揃えられた仮装用の衣裳が大人気で、酒の勢いもあって即興の芝居が演じられることが珍しくない。

○ 飛騨で唯一の貸衣装店 
 飛騨北部では、殆ど「八伊」にお世話になってきた。
 「八伊」とは略称。正式には「八賀伊兵衛」といい、当主は代々八賀伊兵衛を名乗ってきた。高山市下一之町の江名子川べり、まさに「古い町並み」の中心部に位置する。江戸時代から続く貸衣装屋で、地芝居を演じる際に頼りにされてきた唯一の貸衣装店である。現在の店主は4代目八賀登志子さん(大正15年生まれ)82歳である。

○ そもそも、地域の人々が地芝居を演ずる際、一番大変なのは指導者の確保である。また、練習の成果を発表し地区で楽しむ際には、鬘・衣裳・小道具・舞台背景・化粧・お囃子・太夫そして舞台が必要となる。特に独特のデザインを持つ歌舞伎衣裳をそろえるのが難題である。貸衣装店に頼るしかないのだが、店側にしても多数の芸題に対応した種々の衣裳を悉く揃えることは至難であり、頼りにされる地元の八伊の場合、先代、先々代の店主の奥様方が自ら仕立てられた手作りの衣裳ばかりである。鬘も独学で技術を習得され、芝居当日出張して髪を結われたのである。貸衣装店というより地域の文化活動を支える協力者として存在してきたと言える。まさに、飛騨の地芝居と八伊の存在は表裏の関係にある。
地芝居というと演劇のごく一部に限定されるように受け止めてしまうが、戦中戦後を見ても、高山市民の娯楽は職場の同僚で市内八幡町の劇場「喜多座」を借りて手作り芝居に興じたり、町の旦那衆が八伊から衣裳を借りて料亭で宴会の余興を行うようなことが一般的であった。
 当然のように八伊が頼りにされてきたのである。飛騨のように小山村での地芝居を可能にするために、江戸末期以降「八伊」がいかに大きな役割を果たしてきたかが分かる。