地域文化研究所

地芝居について

地歌舞伎を見に行こう!

藤川慎司


 「どうしても地歌舞伎が見たくて...。」と、はじめからこの芸能にのめり込んでいるような人はいない。大抵は、知人が出演するから、誘われたから、といった、やや消極的なきっかけで見ることになると思う。あるいは、本書を手にとって、「一度ぐらい、話の種に見てみるのもいいかな」という方もあるかもしれない。
 しかし、やはり歌舞伎は、子どもたちの学芸会やタレントの劇場公演とは違って、無条件に誰でもがテレビドラマを味わうような気持ちで見るというわけにはいかない。実情としては、9割がたの人は、私と同じ、「歌舞伎ど素人」なのではないかと思う。ここでは、そのような「素人さん、一見さん」、やや消極的なきっかけで地歌舞伎を見に来た人にも、損はさせない、むしろ繰り返し見に来たくなるようなきっかけ、助けを示せればと思う。


(1)多くは奉納芝居から始まった
 江戸時代初期に歌舞伎の起源のようなものは起こるが、もともと「かたぶきもの(語源)」の、妙な恰好で芝居や舞が行われるうえ、上演後、風俗的によろしくないことが多々行われたということで、まず女性が舞台から外され、のちには若い男も舞台から外されるなど、多くの制約を受けた。上演に関する取り締まりも厳しかったという。
 しかし、旅芝居などを見て憧れる人も多く、やがて各地域、地元の人たちの手による芝居が行われる。そこにも、お上からの「取締まり」が来る。そこで、地元の人たちは、「神社への奉納」の芸能という名目でこれを切り抜けてきた。中央の歌舞伎と違って、「奉納芝居」なので、老若男女に関する制約はない。ふだん農業にいそしむだけの人が、この日ばかりは殿さま、お姫様、帝にもなる。この、芝居にかける情熱は相当なものだったと想像される。


(2)芝居小屋
 江戸の後期から明治以降にかけて、芝居小屋がたくさん作られた。すでになくなってしまったものも多数あるが、「とりあえず演ずることができる場所」といった、ただの公民館のような場所ではなく、回り舞台をはじめとした本格的な設備を持ったところが多数で、質、量ともに、当時の人々の芝居に関する情熱のすさまじさがうかがえる。


(3)その時代の雰囲気を残す芝居見物
 役者が、首を回して大見得を切る。すると、客席からジャランジャランと、紙に包まれた「おひねり」がとび、後ろからは「大向こう」が、「○○!!」と、役者の名を叫ぶ。子ども歌舞伎などあれば大変で、よってたかって家族や知り合いが、舞台のわが子らに大量のおひねりを投げつける。中にはおひねりが顔にあたって、泣きそうになりながら演じ続ける子も。中央の大歌舞伎では見られない、地元民ならではのつながりと盛り上がりを見ることができる。もちろんこれらのおひねりは、舞台後の演者たちへのご褒美となる。
 普通の演劇などが行われるホール内では、上演中はもちろん、会場内そのものが飲食禁止。しかし、今でも多くの地芝居、地歌舞伎では、江戸時代からの日本の風情そのままに、会場内での飲食は自由。のんびりと飲み食いしながら芝居を堪能できる。大相撲の桟敷席で弁当を広げている人たちの姿を想像していただければわかると思う。
 地方の歌舞伎だからといって、周りを取り囲むスタッフが学芸会のような「とりあえずのもの」ということはほとんどない。衣装も、化粧も、小道具も。また、本番での義太夫や三味線、鳴り物に至るまで、本格的なものであふれている。地元の人たちが行う本物の歌舞伎の世界の泥臭さが堪能できる。
 振り付け師は、いわば、総合プロデューサーのようなもの。舞台で演じられる役者のせりふ回しも所作も舞いも、すべてこの振り付け師の指導による。地歌舞伎の振り付けには、往々にして、中央の歌舞伎では現在行われなくなった、または忘れ去られてしまった、昔ながらの振り、所作が残っている。地歌舞伎とはさながら、「もともと歌舞伎は、このようにして行われていた」という、生で見られるタイムマシンといえよう。しかし、地歌舞伎を見に行く時には、すこし、他の演芸を見に行くのとは違う心構えを持っていただいたほうがよい。以下は、私の実体験から感じた「心得」である。


① データは多いほどよい
 事前に何の知識がなくてもそれなりに楽しめるが、特に地歌舞伎においては、「最初の出会いが大事なので予備知識は持たずにまっさらな頭で見たほうがよい」という価値観とは正反対の位置にあると思う。演者が話す言葉の意味も、その背景も、横のおじさん(すみません、義太夫のことです)が何を歌っているかも、なぜその動きをするのかも、まっさらな状態ではわかるはずがない。また、歌舞伎座のような現代的な施設と財源を持ってやっているわけでもないので、いわゆる「イヤホンガイド」もない。見に行くところが決まったら、まずはそこで演じられる演目について、調べてみよう。その話のあらすじだけでも知っておくとよい。もちろん、ほとんどの場合、当日上演場で配られるプログラムなどに、大方のあらすじなどが書かれているが、例えば、よく上演されるという「菅原伝授手習鑑・車曳の場」の解説文を紹介しよう。


<前段までのあらすじ>
 皇弟斉世親王の舎人桜丸、左大臣藤原時平の舎人松王丸、右大臣菅原道真=管丞相の舎人梅王丸の三人は三つ子の兄弟である。親王は桜丸と女房八重の手引きで、かねて恋仲の丞相の養女苅屋姫と逢引し、詮議を受けて駆け落ちしてしまう。管丞相は勅命によって筆道の奥義を弟子に伝えるため、勘当していた弟子式部源蔵夫婦を呼び、秘法を教える丞相は、「皇弟と自分の娘を結婚させ譲位をくわだてた」という時平の讒言(ざんげん)で勅勘となり、流罪地九州へおもむく途中、伯母覚寿の計らいで時平方の暗殺者の手を逃れる。源蔵は梅王丸と協力し、丞相の一子管秀才を救出する。
<物語>
 それぞれの主人を失った梅王丸と桜丸が出会い、お互いの経緯を訊ねて不遇を嘆く。
 そこへ通りがかった行列を時平のそれと知って襲うが、松王丸に支えられた上、牛車の中から現れた時平にひとにらみされ体がすくんでしまう。




 プログラムのスペースの都合上仕方がないが、日本史に疎く、国語もいまひとつの私は、正直なところ面食った。「讒言ってなに?」と。実際に演じられた劇は、見ていてもわりとわかりやすく、大いに楽しめるが、背景を、何らかの形で予習できていれば、更に楽しめただろう、と思った。
 歌舞伎の演目の多くは、登場人物の複雑な人間関係の中で見られる駆け引きや愛憎劇のようである。独特の言葉と言い回しは、やはり慣れないと聞き取りにくいと思われる。その他、時代背景や見どころなど、予習は多いほど、楽しみも深まる。また、見たあとに学ぶのもよい。次に見る時の楽しみが増えるというものだ。


② 複数人数で行こう
 場所にもよるが、地芝居の公演は、午前中に始まって、5,6時間、休憩を挟んで、数幕という構成で行われることが多い。私は今まで、取材という立場で芝居を見物することが多かったが、その時、「ここは初心者が一人ではちょっとさびしいな。」と思った。
 一幕が終わって、次の舞台が始まるまで、舞台裏は上を下への大騒ぎであるが、観客席は休憩時間。何せ大舞台なので、場合によっては30分近く休幕している時もある。その間、一人で、話し相手もないと、持て余してしまうかもしれない。逆に、一緒に見に来た仲間がいれば、この時間は実に楽しい雑談、評論タイムとなる。


③ マナーも会場によりけり
 前述したように、会場によっては、飲食の制約がそれほどなくて、のんびりと見物できる。でも、全部というわけではないので気をつけよう。写真撮影、ビデオ撮影についても同様である。それぞれの行動を起こす前に、まわりの様子を見たり、尋ねたりしておくとよい。


④ まわりの施設もチェックしよう
 会場内のトイレなどはもちろんのこと、食事をするところはありそうか、公共交通機関へのアクセスはどうかなど。事前にわかっているとよいと思う。


 芝居小屋などは、もともと芝居奉納していた神社のそばにある場合もあり、必ずしも交通の便の良いところにあるとは限らない。鉄道の駅が近くにあると思っていたら、1時間に1本も来るか来ないかのような駅だったりすることもある。便利に、快適に一日を過ごしたいか。それとも、当時の風情を感じながらのんびりと過ごしたいか。それによって、行動も大きく変わってくる。当事者以外の観客は、地元の方々にとっても大いに励みになる。皆さんは待たれている客なのだ。気軽に見に来ていただきたいが、本書等参考にしていただければ幸いである。