地域文化研究所

乙原歌舞伎 岐阜・西濃地方 岐阜・西濃地方揖斐郡

連絡先揖斐川町教育委員会TEL0585-23-0115
住所上映時間5月3日(3年に1度 次回は平成21年予定)

アクセス方法

map83.gif
養老線揖斐駅より車で15分

解説

(1)歴史・沿革
 安政3年(1856)頃、徳島県の鳴門より置き薬の薬屋が乙原村(現揖斐川町乙原)に宿をとり、売薬の傍ら夜には村人を集め豆人形歌舞伎を見せた。以後、祭礼時に村人は豆人形歌舞伎を楽しんだという。これが素地となって、本格的に歌舞伎習得の機運が高まり、本村から2人の者が明治44年(1911)頃神原村(現揖斐川町谷汲神原)の松浦儀十朗に習い若者達を指導し、祭礼時に公演し始めたという伝承がある。第二次大戦中及び戦後の中断を経て、昭和23年(1948)青年団が活動の中心となり再開された。

(2)見所・特色
 戦後の復活に際して、戦前の乙原歌舞伎に関わってきた当地の経験者を指導者としたので、他地域の影響を受けることが少なく、乙原独自の表現・味わいを保持している。現在、広瀬幸男・高橋ひづる・高橋和夫等この地在住の先輩格を振付師とし、浄瑠璃語りの太夫役も地元のものが担当している。極力地域の力だけによる上演ということもあり、演目は「一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段」・「景清日向嶋 親子別れの段」等やや限定的ではあるが、よく知っている演目を顔なじみが上演する芝居を見物することは、皆の楽しみであり、まさにかけがえのない貴重な地域文化であるともいえよう。

(3)稽古場・上演場
 乙原地域のコミュニティーセンターである「久瀬公正公民館」が、稽古の場であり上演の場となっている。

(4)伝承者の言葉
 指導者的立場にある広瀬幸男氏は、次のように語っておられる。若い頃は歌舞伎が面白くて夢中になってやってきた。遠方でもものとせず習いに行ったものである。日常生活での何気ない会話やしぐさが、舞台では歌舞伎独特の味付けとなった科白となり所作となる、そこが面白いと説く。公演は恵まれた条件で行なわれるわけではなく、ないものは何でも手作りで間に合わせ、時にはお寺の鐘まで借りたこともあるという。これが、山村に今も息づく乙原歌舞伎の心温まる親しみやすさであり、地歌舞伎というものの面白さであろう。

p.83-1.jpg p.83-2.jpg
語りも地元の人たちで 久瀬公正公民館