地域文化研究所

真桑人形浄瑠璃 岐阜・西濃地方 岐阜・西濃地方本巣市

連絡先副会長 守屋紀勝 方TEL058-324-1857
住所上映時間春分の日とその前日

アクセス方法

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樽見鉄道北方真桑駅から徒歩10分
名神高速岐阜羽島I.C.から国道157号経由で10km、約30分

解説

(1)由緒・系譜・保存会の結成
 昔から本巣市真正町上真桑の本郷地区は、灌漑用水の利用に当って、真桑・席田両用水の争いが絶えず、寛文5年に、真桑方が幕府直轄領としての水利権を得ることが出来ても争いは収らなかった。この争いの解決に尽力したのが、上真桑村の福田源七郎で、その功績を讃えて「義農源七郎」と題して操り(人形)芝居を上演したのが、真桑人形浄瑠璃芝居の起源といわれる。用水の恵みに感謝して、2郡16ヶ村が、経費を石高に応じて負担し、上演を重ねてきた。真桑の人形浄瑠璃芝居は、滋賀県東津井郡富田、長野県下伊那郡上郷村黒田につながるもので、広く文楽の系譜に入る。昭和30年県重要無形民俗文化財の指定を受ける。昭和50年には「人形舞台」が国重要民俗資料として指定を受けた。昭和45年「真桑文楽後継者養成クラブ」が誕生。指導部・青年部・婦人部の体制を敷いた。福田謙司、福田真一、両人の働きかけで「真桑文楽伝承同好会」が結成され近郷近在の同好者が集い、伝承活動の一助をになっている。平成になって全国に働きかけ「第1回中部文楽サミット」を発足させた。真正中学校では、郷土芸能を学習として取上げ、婦人部の指導で、文化発表会の成功にまでこぎつけた。真桑・弾生小学校にも郷土クラブが出来練習を重ねている。

(2) 特色
 人形の首(かしら)には寛政年間以前のものといわれる古いものがある。人形ははじめ突込み遣い(一人遣い)であったが、18世紀中頃(宝暦・天明期)に三人遣いを取り入れ文楽系の影響を受けたと考えられる。明治17年以来の上演記録に、「絵本太功記」は209回とある。「人形舞台」は、太夫座、回り床、田楽返し、三段返しなどあり、保存庫収蔵の60余枚の襖を、竹を生かした頑丈な機構で使う。近年は客席に傘型の大テント(写真)が特設され、雨天の日も安心して鑑賞できる。

(3) 古老の伝承
 故林亮二氏の覚え書きノートは、明治、大正、昭和に亘る貴重な伝承遺産となっている。何度も危機に遭遇してきたが、後継者養成には学校教育の中で更に生かしてほしい。

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三味線で活躍する女性たち 中学生による上演