地域文化研究所

白虎台子供歌舞伎保存会 飛騨地方 飛騨地方飛騨市

連絡先岩田豊 方TEL0577-73-3519
住所上映時間毎年4月19、20日

アクセス方法

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JR高山本線飛騨古川駅下車、徒歩5分。車の時は 飛騨市役所に駐車、直近。

解説

(1)由緒
 天保13年(1842)が古川祭屋台「白虎台」(三之町下組)の始まりであり、屋台から張り出したステージ上で演じられる子供歌舞伎は「斐太後風土記」にあるように当初からの姿であると考えられている。明治20年頃までは「義経千本桜」や「太閤記」等の一場面を男子児童だけで演じて見せた。
老朽化に伴い昭和18年に休台、同59年に町民の一致した強い願いにより屋台を見事に修復し、同時に子供歌舞伎を復活させるとともに保存会を結成し今後に向けて決意を示した。

(2)「斐太後風土記」(富田礼彦著)の表記
 巻12吉城郡の項に「...屋台中段という所より前の方へ踊り台という物をさし出し、その上にて俳優すなり、それを踊りという。その踊りは、年々替えて歌舞伎の可笑、興ある所を少しづつぬき出してすなり、その踊り子はみな10才ばかりなる童なり...」とあるのが江戸末期の姿である。

(3)上演の様子
 三之町下組の小学2、3年生の男女児童で二人組3チームを編成し、4月19、20日の両日、起こし太鼓の里を皮切りに町内数カ所で時間を決め配役を交代して演じる。昭和59年の屋台修復後は祭神源義経にちなみ「橋弁慶」を演じている。演じ終わると紙吹雪の中でいくつかの名場面を切り取ってポーズを決めてくれる。大変可愛らしくこの心憎い演出は観衆に大人気である。

(4)稽古場と練習
 子供歌舞伎については、年々替えることなく確実に伝えることが出来るように昭和59年の屋台復活時、振付指導を高山市在住の東紅之介師に依頼し芸題を「橋弁慶」に定めた経緯がある。その後は町内の千原千之丞(政弘)氏が熱心に関わっておられ、現在はそのご子息ら若者達が常時練習に立ち会っており、地域に根付いた活動になっている。
 2月に入るといよいよ練習が本格化する。毎夜、公民館は練習を見守る家族や子ども達、指導者で賑やかになる。経験のある若者の世話が実に頼もしい。

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稽古風景 祭礼初日(起こし太鼓の里)